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あなたのこと

あなたが死んだ。

僕はあなたを愛していなかったのだと思う。

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いつのまにか四十と九日も過ぎて、あっという間に納骨が終わった。「白い墓はこっち(関東)ではめずらしいんだって」となぜか得意げに声をあげる父の低音を片耳に、「おかあさん、新しい場所で今晩は寂しい夜だね」と遺骨に語りかける叔母の虚ろな声を本当に虚ろだなあと感じていたら両耳が塞がれてしまった。とても空は晴れていた。隣にいたお坊さんが「私、頭がこんなんでしょう。今日みたいな陽の出ている日は、とっても、熱いんです」と話しかけてくるので、塞がれていた二つの耳の穴が解放されたのだった。新しく、涼しい風が吹き抜けて、つい笑ってしまった。とても空は晴れていた。

 

 

その日も晴れだった。あれは一月のことだから、きょうよりもずっと寒い晴れの日だった。僕は東京にいて、おおきな仕事を初めて任されるはずの日で、その前の晩はとても緊張していた、言葉を編み出そうとしたままで悶々としていた。そうしていつのまにか朝は始まっていて、職場に向かう直前だった。いつものように、電話が鳴った。今日はケーキを食べました、今日は横浜へ行きました、そうやって十代の少女みたいな口調で僕に思い出を刻みこむのが母の日課だ、またか、と思って携帯の通話ボタンを押したのだ。

 急死の連絡であった。

 

 

生まれて初めての葬式は突然やってきた。でも、死んでしまうことはわかっていた。年に三回ほどの帰省、時過ぎるたびに腰は曲がっていき動けなくもなっていたのを知っていた。精神の持病もこの頃悪化していて、顔色はいつも悪かった。僕は彼女の「死」をどこか遠くへ投げ捨てていた。他人事だった。愛したかった、そう思ってしまうのは、愛していなかったという事実と限りなく近いということなのだと思う。大袈裟に、あまりに大袈裟に嗚咽を漏らす母の「けれど少しほっとしている」という涙声に安堵して肩を下ろした。母はいつもひとりぼっちで、祖母もおなじようにひとりぼっちだった。おなじように僕もひとりぼっちだった。その共鳴が疎ましかった。冷たくなった体と添って寝た。温度はない。もう骨になってしまった。

 

 

他人を愛する、とはどういうことなのだろう。

 

相手の死を想像し、その葬式に参列する自分を想像できるか否かではないか。

それができてしまうとき、その人を愛しているのかもしれない、そう思う。

彼女のために読まれる追悼の言葉は耳の穴から穴へと吹き流れて、彼女ではない誰かの葬式を想像している僕がいた。一度だけでも、彼女を愛してみたかった。しかし、一度だけ愛する、というのは成立不可能な事象である。常に私たちはいつも愛しているか一度も愛せないか、そのどちらでしかないからである。

空は見上げない。僕は、あなたを一度も愛せなかった。