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あの日は裸のグラウンドで

 

目の見えないふたりが恋に落ちるとき、手のひらに眼を持つのだと聞いた。対面し、顔に手を伸ばしあう、指先でふれる、額の広さ、眼球の突出、頬骨の高低、鼻の形、唇に、指先でふれる。体毛も指の腹に向かって囁きはじめる。きみはこんな顔をしていたのだね、と先ほど触れた柔らかな唇から言葉がこぼれる。

 

わたしの眼はいつも空に置いてきてある。だから空がみえないし、空を美しいと思えたことが一度もない。見渡せるのは地だけである、その先に横たわり両足を伸ばす海だけである。今年はたくさん海に飛び込んだが、その水を唇にふくませると、悲しいくらい辛いものだということを知った。海に味はいらないでしょうか。いいや、私に味覚がいらなかったのだ。

 

海から出れば、すぐ冬がやってくる。秋の入り込む隙はなく、一年は夏か冬しかない。冬だけは人間になれるのだ。だれかの声を聴きたい、あなたはそこにいますか、動けずに眠るだけの身体がもうひとつの身体を探していく。なぜ服を着るのですか、せっかくこんなに寒いのに、この寒さを覆うように肌を閉ざす街の背中。だれもいない海の中で裸になって、胎児のようにまるまって、五年前に破った約束を整え直したあの日は、謝罪と救いにはなれど、悲しみしかうみませんでした。裸になることは、かなしみしかないのだ。

 

熱を帯びても、かならず冷めてしまう、それなのに、冬だけは、裸よりも悲しいから、もう一度その腕のあたたかさにこの沈黙の眼を沈めてしまえます。この連続は、死でしょうか。死は、悲しみしかうまないでしょうか。はたして、きみにふれるような手のひらのあつさで、わたしはわたしにもふれられるのでしょうか。