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独占しない関係について

何年か前、当時の恋人にむかって、封の開いたコンドームの箱を眺めながら「他の子とセックスするときに残りのやつ使いなよー」と何気なく言ったら、ものすごく嫌な顔をされて喧嘩になったことがある。

 

ずっと、恋愛関係と呼ばれるような他者との親密な契約関係を作るのが苦手だった。それは、少し一般論からずれている自分の感覚を言語化して目の前の相手に伝える努力を怠っていたためである。「わかってもらえない(そしてむしろ煙たがられる)」恐怖に怯え、自分の感覚を隠してきた。だから、16歳以降、まともに人間とお付き合いできたことはなかった。

 

私は「独占欲がもたらす苦しさ」の優先度を低く設定している。そのため独占欲が結構薄い(ということになっている)。そうすると、一時期に複数の人間と恋愛・性愛関係に至る可能性を持つポリアモリーやオープンリレーションシップという概念に親和性を持ってくる。


【ポリアモリー(polyamory)】

 ウィキペディアから引用すると、つきあう相手、親密な関係を同時期に、一人だけに限定しない可能性に開かれていて、全ての関係者が全ての状況を知る選択が可能であり、全員がすべての関係に合意している、という考え方に基づく行為、ライフスタイル、または恋愛関係のことである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%BC


【オープン・リレーションシップ(open relationship)】

それに対して、オープン・リレーションシップは、恋人同士がお互いに他の人と関係を持つ事を認めている関係。いわゆる「浮気」や「二股」との違いは、お互いに同意の上で他の人と関係を持っている部分である。その関係が婚姻関係を含む場合もあって、それをオープン・マリッジ(open marriage)という。

ポリアモリーと混同されやすいが、厳密には違うものらしい。例えば、オープンリレーションシップが風俗通いやワンナイトラブをOKとする「割り切り」「体だけ」であるのに対し、ポリアモリーは同時に複数間での「恋愛感情」「付き合う」を始めから想定していて、「みんな仲良し」という感じ。

参考:オープン・リレーションシップ(open relationship)とは何か?:浮気・二股でない複数恋愛

http://blog.otonanodansei.com/2011/12/open-relationship.html?m=1

 

 

ポリアモリ―的な実践をかねて、「一度に複数と付き合います」と了承を得たうえで、一度に2人の恋人を持ったこともある。今は、パートナー(恋人)は1人がよいが、その相手が私以外とセックスをしても、特に不快感は持たないので「セックスパートナーを恋人に限定しない」関係(オープンリレーションシップ的な在り方)が一番しっくりくるし、自分が穏やかな状態でいられるという結論に至った。

 

しかし、「誰とでもセックスすること」を無条件に肯定しているのではない。「セックスパートナーを恋人に限定しない」関係が気持ちよく成り立つためには、最低限、以下の条件が必要であると思う。

条件①エイズ・性感染症・妊娠のリスク回避ができているか。(リスクが生じた際、相手が誰だかわからない状態は大きなトラブルを生むだろうし、無責任な接触は結局誰のことも大切に扱うことができない)

条件②自分の寂しさを他者で穴埋めさせる消費的な接触、相手の心身をまったく思いやれない暴力的な接触、行為中・事後、不快感やトラブルが伴う後味の悪い接触ではないか。

 

次に、「独占的な関係でなくていい」と恋人契約をしても、実際一緒に居続けていけば、予想外の展開に陥ることは結構ある。思いもよらぬ嫉妬感情の発生などがそれにあたる。そのとき、片方が不満に感じた部分を伝え、納得するまで話し合うか、契約内容を修正していく(たとえば限定的な性交渉にルール変更する等)といった努力の積み重ねから逃げてはいけないのだ。コミュニケーションに相当な困難を要していた自分がようやく気付いたのは“相手を尊重する”とは、自分が傷つかないことを第一に優先する、自分の在り方を押し付けるのとは反対の行為であったということだった。

 

「恋愛」を疑いつつも、とても大切にしている。独占欲は極めて薄いが、相手の存在に執着していることに気付いたとき「名づけ」を必要とし、関係に名前が付くことでさらに執着してゆくというパワフルで衝動的な幻想的な試みをどうしても好んでしまう。

 

私は、恋人にしかり、大切だと思う人には豊かな経験をたくさんしてほしい。世界は絶望的に広く、掬いきれない景色であふれている。「相手の幸福のすべて=自分との関わり合い」では決してないはずだ。自分が贈ることのできない類の豊かさがあり、私以外の人がもたらす幸福も、それらの人と相互的に作る幸福もあるはずだし、私の親しみのない分野(趣味や学び等)と出会い、幸福を感じることもあるだろう。もちろん恋人という当事者間で作っていく幸福や時間共有の面白さがあることは言うまでもないが。

 

その考えの延長線上に、「セックスパートナーが“私”に独占されないこと」がある。自分以外の人とセックスすることでその人の世界がもっと豊かになるのなら、それはそれでハッピーなことだと思っている。愛するひとの世界が狭まるのでなく、広がってあるいは深まって鮮やかになることがうれしい。それを近くで眺めているとき、終わりのない本を読んでいるような、わくわくと旅をしているような、不思議な気分になる。

「恋愛(付き合う)契約」の面白さは、その楽しかった継続的な時間が、少年誌で起こる突然の連載終了、みたいに不安定である部分にあると思う。かならず想像外の別れがあり、永遠を願った夢は打ち砕かれ、「恋人」の名前を喪った後に、何者でもなくなった個人だけがぽつんと取り残される。

 

 

これだけ熱く語ったが、自分が心身疲れて余裕のない時に、恋人が自分を置き去りにして他人とイチャイチャしていたら「嫉妬」「ショック」とかではなく「ああ、くそだるいな…」と勢いあまって別れを切り出してしまうことを想像できるくらいには私の心はそんなに寛容でもないのだった。

18歳の時、バイト先でクールビューチーな姉ちゃんが語ってくれた「あー。彼氏と同棲してたけど浮気されて別れたんだよね。でも相手金がないから家出ていけなくてさー、同居人として今でも一緒に住んでいるんだわ」って話が面白くて、今でもよく思い出してしまう。


ここでいう『恋愛関係』とは、付き合うという契約を伴うものとした。加えて、『セックス』とは、異性間あるいは同性間・中性間の、性欲の共有を伴う性的接触のことである。性器の接触や挿入に限定されず、性的なニュアンスのキスやペッティングも含む。 しかし、共有感のない、片方が性欲を一方的に満たそうとする行為はセックスではなく「強姦(性暴力)」になりうると私は考える。金等で対価交換をする場合にのみ「性労働(セックスワーク)」として成り立つ。とにかく、『豊かさ』とは対極にある、NOの言いづらい、義務感や強制力が楽しさを上回る「仕方なくする」セックスは心身を消耗させるから、そんなのやらんでいいのです。(大声)

本文には特に記してはいないが、性的接触を要さずに成り立つパートナー関係もある。あくまで、目の前の人間が、どういう「恋愛観」「性愛観」「パートナー観」「浮気の捉え方」「独占欲の強度」「セックスの必要度」を持っているかは様々であり、その都度、オリジナルでスペシャルな関係が出来上がるわけで、そうだな、非常にめんどくさいな。