ブラジャーの仕事がしたい人生だった

(単なる日記です) 

 

久々に知人に会ったら「まっとうになったね(驚)」と言われた。

 というのは、在学中、ろくに学校にも行かず、色んなイベントをふらふらしたり住まいを転々として自由に生きていた印象が強かったからだと思う。アルバイト(ツタ屋、病院事務、某ブラックなアパレル、性犯罪勃発の居酒屋、60代マダムに囲まれるパチンコ清掃、特養の介護、障害者グループホーム、炎天下の中での300件営業、鉄パイプをひたすら運ぶ、工場でひたすら大福を並べる…等)に明け暮れていたので、フリーターと間違えられることも多かった。

 

 そんな私も四月から「社会人」となった。しかし、働いている話をすると、一歩引かれる感じがする。私がずっと避けてきた「属性を持つこと」による影響だろう。人は、自分と他人をどこかで区別したがる、同時に共通点を見つければ「似ているかもしれない」と舞い上がったりもする(共通部分が多いと感じさせたり、良い意味でのミステリアスな部分を晒したりすると関心を持たれやすい)。厄介なのは、「悪い意味で」自分とは違う、と思われることである。自分が相手より劣っているような印象を抱かせてしまうことである。そうすると、今後相手と距離が縮まる可能性はガクッと下がってしまう。人となるべく対等に、なるべく親和的に関わっていくためには、社会的な価値を放り投げてしまったほうがいいのだ。ある程度、社会的な価値がその人を飾り付けていくのだとしても、「出身校」とか「職業」とか「社会的性別」にこだわらないほうが、うまく付き合っていける気がする。

 やたら自分の「学歴」「職業」「得意分野(難しそうなカタカナ言葉)」を誇示してくる人はいる(意識していなくてもその属性に自分の価値を委ねている残念な人は多い)。どこ大学出身だとか、なんの仕事をしているだとか、自己紹介で話されても、たいていはつまらない。活躍している分野を心から愛し、その分野に無知な他人の土台に合わせて語り、「面白そうだな」と引き込んでいく口の巧さ、頭の回転の良さ、そして情熱がない限り、本当につまらない。

 「○○大学です」「○○会社です」と言っても、それがどんなに有名な機関でも、自分が何を考え、何に情熱を持っているかを知っていなければ意味が無い。しかし、恋愛にしても就職にしても、社会的スペックで選ばれ、態度を変えられたりする世の中である限り、こうした「誇示マン」は減らないだろう。

 

 今務めている会社は、ちょっと面白い。私が所属しているのは、緊急時に自力では生活が営めない人の受け入れ(部屋貸出)を担う部署であり、いろんな背景を持った人と関わることになる。しかし、仕事の大半は料理を作ったり料理を片づけている。料理が不得意な私は、先輩たちの辛口指導を受けて、日々料理の練習をしている・・。

 緊急時には、電話相談、受け入れ、アセスメント、支援計画書作成、ケア(食事入浴排泄等)、退所手続き(金銭管理含む)まで全て対応する。地域包括センターやケアマネ事務所への営業も業務に含まれる。ただ、緊急時対応のため毎日利用があるわけではない。なので、利用者のいないときは料理の勉強に励んでいる。料理がうまくなりたいという気持ちが、高まる・・・・。

 初対面の人に尋ねられ、仕事の話をする機会が増えたが、「中途半端な知識と経験と熱意で語る会話はこんなにもつまらないのか」と自分自身で落ち込んでしまった。そのくせ、「社会人」という属性が強化されてしまって、「○○の仕事をしている立派な人」とか言われてしまう。そこから自分を破っていかなくてはせっかくの出会いも台無しのように思えた。

 

 仕事の話をしていると、奥のほうで違和感が広がっていく。その違和感を突き詰めると、私の人生のテーマはもっと違うところにあるのだと再確認させられる。

 結局、私が突き詰めたいのは、性に関すること(添い寝、性暴力、性別の在り方)と、ブラジャーのこと以外にないのである。

 

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(美しい・・・)

(5年以内に、ブラジャー会社に真面目に就活しに行くことを決意しています。)

 

 また、就職した友達と久々にご飯に行き近況を聞くと、残業○時間あるのに残業代出ないとか、暴言(パワハラ)受けていたりとか、新人なのに人が足りないためベテラン並みの仕事量を任せられていたりとか、ストレスのたまる職場環境も少なくはない。労働法を使って自分の権利を守らなくちゃだけど、職場の中で「おかしい」と言えない雰囲気があって、ひとりで抱え込んで病気になってしまう危険性だって高いよなあ、と心配になる。

(そういや、この間本屋で立ち読みしたこの本がちょっと面白かった。参考になる人がいるかも) 

雨宮鬱子の証券会社で働いたらひどい目にあった (Next comics)

雨宮鬱子の証券会社で働いたらひどい目にあった (Next comics)

 

  

 学生時代、暇さえあれば働いていた。もしかすると私は労働が趣味なのでは?!と四年経って気付いた。「仕事を頑張れない人」をバッシングする風潮があるけど、もはや「働くこと」が苦痛でない人が頑張ればいいのではないか、とさえ思ってしまう自分がいる。「働くこと」を男の人のほうが強制されてしまうのもなんだかおかしい。勤め労働と家事労働、得意な(苦痛ではない)分野を分担しあえたら生活って案外成り立つのではないか。(相性にもよるけど)

 それに、働いてないことよりも、生活(衣食住)が整ってないことのほうが大変だ。どんなに労働者として「まっとう」でも自分に美味しい飯や休息を与えてあげられないなら、労働によって過剰に精神を擦り減らしているなら、そっちのほうが問題じゃないのかな?

 

ドドーン!(世界の平和)

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                     (リボンブラ41シリーズ Lgeより)

 

 とはいえ、「働くことが苦痛すぎる人」もいれば、「働きたい」けど「働ける場所(受け入れてくれる職場)がない」人も多いとも聞く。自立生活に足りるだけの金がなければ心穏やかな暮らしも手に入れがたい現実がある。どんな形にせよ「金を得られる」ことが豊かに生きる条件ではある。企業に属さない稼ぎ方もあるだろうし、専業主ふになってパートナーに養われたっていい(でも詐欺商売だけはやめておきたい)。しかしいつ稼ぎ主が倒れてしまうかはわからない。備えあれば憂いなし。つい先日も上司に「積立預金だけはしとくべし」って言われた。近いうちに銀行に行こう。

おわり(苦痛の人生は続く・・・)