「美人」じゃなくても狙われる

 連日、「岡山の小学5年生行方不明事件」が大々的に報道されているのを、職場のTV越しに知った。彼女は、6日間の監禁後、保護されたという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20140719-OYT1T50127.html

 

 自分の主張を色づけるために他人の人生をネタにしてしまうというか、悲惨な事件をなにがなんでも自分の思想と関連付けて(時に無理矢理に結びつけて)語ってしまうことは危険であり、それに無自覚でいられるのは恐ろしいことだ。傷ついた人を擁護している素振りで、結局自分の利益のための「正義」しか見えていない。実のところ、未来のためと言いながら、“いま”傷ついた人を利用している。しかし、そうならないような、押しつけでない、聞き手に巧く問いかけるような文章を書けるほどのセンスが残念ながら(ほんとうに残念だが)私にない。なので、とりあえず思うがままに書いてみようと思う。

 

 この事件を受けて、知人が「性犯罪の多くが計画的犯行で、“衝動的に襲ってしまった”よりも“抵抗できないような状況を狙い、緻密に冷静に行動する”のだと思い出したよ・・」と発言していた。実際に、数か月前から不審な車につけられていた経緯があり、被害者の母親は警察に相談しにいっていたという。まさに、「計画的な犯行」である。きっと、衝動的に罪を犯してしまうケースも0ではないのだろうが、多くの加害者は頭を使っているし理性的だ。弱いものを狙い、自分が有利になれる選択をしている(私だって人を殴るならまずヤクザは選ばない)。自分より体つき・地位・立場が上の人間を攻撃することはそうそうない。圧倒的に力の弱いものが理不尽な目に遭うことがほとんどで、社会はそういう場面だらけである。

 

 職場で、そのニュースが話題になった。

 パートのママさんが、ぽろっと「事件の子、キレイだもんね~」と言った。

 それを聞いた瞬間、 ぞくっ とした。 

 

 私は、事件に巻き込まれてしまう原因に「容姿の良さ」を絡めてしまうことが危険であると知っていたからだ。

 「キレイ」だから狙うこともあるし、「キレイ」じゃなくても狙われることはある。むしろ、華やかな外見でなく、おとなしそうな(=抵抗しなさそうな)地味な外見だから狙われてしまうことも多い。弱そうな外見の持ち主が、この世で生き抜くことは結構ハードである。嫌な目に合わないようにと頭を使わなくちゃで、疲れ果ててしまう。「逃げればいい」と言ってもらえても、そんな簡単にはいかない。「勝たなくていい、負けなければいい」と言ってもらえても、実際すごく難しい。だめになっちゃうときが、あるですよ。もう、坂井泉水に「負けないで!」って歌ってほしい。

 

坂井泉水

f:id:kmnymgknunh:20140721011311j:plain「負けないで・・・・」

 

 

 

  

 そして、一部のインターネット記事では、「美人小学生!!!」と盛り上がっていたようだけど、ここで「美」を強調してしまうことの問題点を考えてみよう。

 

 

1.「魅力的だったから仕方ない」と言われちゃう

⇒自己責任論の幕開け・・・・結果的に加害者の擁護になる。

 

2.逆に、被害者が非美人の場合

「怖い。自衛しなきゃ」というと「お前が狙われるわけないだろw自意識過剰w」と言われちゃう

⇒やっとの思いで性犯罪に遭ったことを告白したら「ブスだし処女喪えてよかったな」「うそでしょw」と笑われてしまったという話を聞いたことがある。酷すぎる話である。

 

3.「女の価値」として、被害がステータス扱いされちゃう

⇒ナンパされちゃった♡の延長線上に、痴漢されちゃった♡があると受け取られてしまい、「実は喜んでるんだろう」と思われてしまうことがある。喜んでいる、そんなわけない。「喜んでいる風に見せかけないと傷ついた自分を保てない」人はいるけれど

 

 

 

 

美人=狙われやすい=女性として魅力的=仕方ないのことだったんだよ=だから元気出して☆は、決して正解じゃないのに、あたかも常套句のように囁かれる。これじゃ誰も「被害に遭いました」だなんて名乗り出れない。再度傷つくだけだもの。被害の原因を詮索されることなく、「つらかったね」「あなたは悪くない」と、ただあなたが寄り添ってくれたなら、どれだけ救われるか。

 

 自分自身も小学生の頃から痴漢に遭ってきて、一時期親の送り迎えなしでは通学できなくなったことがある。(1人で堂々と歩道を歩けるまで8年ほどかかった。)ちなみに、美人でもなんでもない。私は鼻筋が逞しくなったギャル曽根みたいな顔をしているし、つけまつげに人生を頼っているくらいだ。

 

 

ギャル曽根

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鼻筋が逞しいギャル曽根

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 ・・・つまるところ、【どんな顔だって関係なく】狙われてしまうのだ。「女の子」じゃなくたって、狙われる。(被害者は女性に限らない。まあ、女性が一番被害にあいやすいので主語が大きくなりがち)

いつも思う。被害者の「顔(外見)」をわざわざ引き合いに出すのはさらなる二次被害を生み出すため、悪でしかない。と。

 

 しかし、この「思い」も、暴力や性被害に関する勉強を重ねたからこそ生まれたものである。

 「知っている」から「黙っている」、それが可能になっただけである。

 「被害に遭った子はキレイだもんね〜(そりゃ狙われちゃうね)」と言った主婦のことを私は大好きだけど、その発言に対しては一線を引いた。「知らない」人なのだと、知ってしまったからだ。

 

 同様に、また違う事柄を「語る」場面において、己の無知が露呈し、誰かを傷つけてしまったことがたくさんあったように思う。そうやって、「傷ついた」と「傷つけた」を往復してきたのだ。

 

 何を感じようと考えようと、それは個人の勝手であるが、「口外する」「言葉にする」ことは全くの別物である。人と出会うとき、互いの「発言」で繋がりあえている気になるけれど、「沈黙」でしか繋がれないのかもしれない。知っていればいるほど「語れない」ことがあって、そういう「語れなさ」で他者と出会えたらいいなと思った。

 

 最近人と会ってもべらべらと話すことが不得意になった。とても、いい傾向だと思う。