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「フランシス子へ」を読んだ

忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね。-吉本隆明

 

 

フランシス子へ

フランシス子へ

 

 

 

 今日、誕生日おめでとう、と書かれた手紙が自宅に届いた。もう十年の付き合いになる彼女から、十年間の思い出が写真つきで語られていた。「一緒にいておもしろかった記憶を思い出せる」と書いてあったが、私はつらかった記憶しか思い出せない。なにより、お互いに、どんなことを会話したのかは覚えていない。まったく相手のことを理解していなかったために、大きな愛の物語だったと記憶している。

 

「フランシス子へ」も、愛するものへの手紙である。吉本隆明が亡き愛猫フランシス子に宛てた手紙である。

「僕にとって特別な猫であることはまちがいないんだけれども、どんなふうに特別であったかを言葉にしようとすると、これといって特別なところはなんにもなかった。でも自分の執着のしかたを見ていると、やっぱりなにかあるんですよ、きっとね。でもその何かっていうのを言葉で言うのが難しいんです」と彼が告げるように、愛猫・フランシス子は「わからない猫」であった。愛するものの価値や理由の中身を語れば語るほど、「愛している」が離れていくのがわかる。なので、「愛している」は沈黙の中でしか持続もしないし育たないのだけれど、「どれほどか」が一切語られないので誰にもよくわからない。別れるときだけが、言葉を生む。分娩台に横たわる母親の肉体からひょこっと出てこようとする胎児のように、別れた後にはずっと黙っていた言葉が内側から流れてくる。心と身体の狭間の何か、断定できない何かをどうにかして外に出そうとする動きに心打たれるが、そのときも私たちは、喪失は言葉では埋まらないこと、不可能であることを知っている。

 

 

 

死者との添い寝

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

 

 

  別れの一つ、対象の死。川端康成の小説「眠れる美女」では死んだように眠る裸の少女と添い寝する男が登場するが、彼女からの応答はない。ピーター・グリーナウェイの映画「コックと泥棒、その妻と愛人」でも逃走に疲れた女は愛する男の死体と一晩添い寝するが、彼からの応答はない。それは共に居ると言えるだろうか。非臨在の永遠が約束されている。もう二度と、失うことができない存在になる。既に眠ってしまっている者に語りかける言葉は、追悼文であると思う。今年四月のわたしはこんなことを呟いていた。

「睡眠は不在と同義である。愛しさは、取り残された僕が不在であるあなたに囁く『おやすみ』でしかあらわせない」

あなたを愛している、という告白は、あなたがいなくなった後にしか、言えないのだ。失った後しかあなたへの私の思いを私は知ることができない。

 

 

センチメンタルな旅・冬の旅

センチメンタルな旅・冬の旅

 

愛する者が死んだことがない。愛せなかった者に対する追悼文しか書いたことがない。なので、愛する人が死んだとき、手紙を書けるかはまだわからない。今年、宇多田ヒカルの亡き母に対する追悼文を読んだ。去年は荒木経惟の「センチメンタルな旅・冬の旅」(妻が他界するまでの数か月間の写真集)を読んだ。(この時写真が別れの言葉を代理することもあるのだと知った)

これらの手紙はすべて私たち第三者への公開文となっていることに驚く。一番届けたい人には届かないので代わりにわたしたちが受け取らないといけないのかもしれない。外に出すことは何を産みますか。わからない。

 

 

 

 

簡単に「悲しい」とか「さびしい」とか言葉にできないっていうのは「いや、本当にそうか」と疑ってしまうからだ。

 

 簡単に言えることなんて、そうありはしない。と吉本氏は言う。彼は「悲しい」「さびしい」という言葉がいつも出遅れてしまうのだと言う。本当は確かめようがないことを疑いもせず言い切ってしまったら、いわく言い難い中間がバッサリ省かれてしまうと言う。そんな「実在性」についてが、書かれている。生きるということは、どっちとも言えない中間を断定できないまま、ずっと抱えていくことじゃないか。性急な答えを求める風潮は、どこか嘘っぽいのだ。ほんとうのものは断定できない、矛盾したもの形のないものの中にあるんじゃ、ないか。

 

東京の街、鮮やかな欲が途絶えることなく並び続ける風景、仲の良い(と思っている)友人の前で「たのしい!」「ハッピー!」と、笑顔ではしゃぐ自分の姿は大袈裟でどこか嘘っぽい。確かに、快適で、快楽なのだ。しかし、永遠を約束しないので、どこか薄っぺらいのだ。すぐに消えてしまうものだから、と諦めている。それなのに、くるしみ、かなしみ、さみしさ、と呼んでいいかよくわからないそれと隣り合わせになるとき、何も語れなくなる。何も出てこない。体内で胎児を流産してしまって、何人もの死体が肉のなかを揺れている。どうしても私から別れられない命たち。諦められずに、涙が代弁してくれることもあるので、どんなに身体が壊れていっても涙だけは枯れないでほしい。そんな「私と別れられない私」さえもやさしく包みこんでくれるような一冊であった。